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税率の本質 [新しいしくみ]

前回10月8日のブログでも触れたとおり、税の主な使途は「公的業務の原資」と「再分配の原資」だろう。このうち、今回は「公的業務の原資」としての税のみに着目する。

世の中の仕事は、自力でコスト回収できる「収益業務」と、税でコスト回収する「非収益業務」に分類できる。実際には税による一部コスト負担や特定条件を満たした場合の政策的な減税など両方の組合せのバリエーションが多数存在するが、いずれも「収益業務」要素と「非収益業務」要素に分解できると解釈できる。
税の使途のうち「公的業務の原資」とは、直接の受益者からコスト回収する「収益業務」を除いた、税で回収する「非収益業務」のコストのことだ。
公的業務であっても、基本的には受益者負担であるべきだ。受益者負担にせず、無償や、コストに対し激安で提供すると、本来必要ない需要も発生し余計なコスト増につながるからだ。
しかし、個々の利用者への課金が現実的でないものや適切でないものがある。環境維持コストの多くや警察や裁判コストや基礎研究など例をあげればきりがない。
また、技術的に受益者に課金できるものでも、政策的に、直接課金せず税で回収するものもある。こちらも就学コストなど多数の例があげられる。受益者負担を全くやらない社会が共産主義と想定される。

「収益業務」と「非収益業務」の観点で見ると、「再分配の原資」を考慮せず「公的業務の原資」に税の使途を限定した場合、必要十分な世の中の平均の税率は、世の中に存在する全業務(= 全「収益業務」 + 全「非収益業務」)における「非収益業務」の割合に一致する。
住人5人だけで閉じた経済モデル サナカンダ島のモデルで説明する。5人のうちA,B,C,Dの4人は「収益業務」ビジネスを営んでいる。Eは島全体の秩序や環境の維持のための「非収益業務」を行っており、この島の住人5人が負担する税金総額が給与として支払われる。このケースで、A,B,C,D,Eの年収がそれぞれ100とすると、うち20、即ち20%を納税することになる。一方、サナカンダ島における国内総生産500のうち、100即ち20%が「非収益業務」であり、税率と一致している。これは1億人のモデルでも、物品販売を折り込んだモデルでも再委託や卸等の多段階なビジネス構造が含まれているモデルでも税の補助による公益事業が含まれているモデルでも成り立つ普遍的な考え方だ。ただし、正確には、貯金・借金等の金融的要因などでブレが生じるし、インフラ建設などいわゆる投資に対しては複数年への配賦が必要など複雑だが、今回のテーマにとって本質的でないので無視する。

「収益業務」が極限まで業務効率化で必要な工数が限定されそうそう増えない状況においては、税率は、公的業務をどれだけ実施するかに依存する。公的業務を極小化し、最低限の労働だけを皆でワークシェアして行うなら税率は極小化されるし必要工数も少なくて済むだろう。逆に、公的業務を増やすほど、税率は上昇するが、世の中全体の成果物が増え、生活レベルの向上や発展のスピード向上が期待できる。
どちらが望ましいとか優れているということはない。その時代、時代の人々がどうしたいかだ。実際にはバランスよい中庸を求めることになるだろうが、時代ごとに人々が皆で意思決定すればよい。

これらから考えると、税率が高いか低いか自体は本質的な議論にはならないだろう。大事なこと(本質)は、非収益業務が世の中全体からどれだけ納得性を持たれて運営されているかだろう。業務の実施の必要性、実施の優先度、成果の妥当性(QCD(質、コスト、スケジュール)の観点)など。これらの情報が分かりやすい形で常に十分に開示され開かれた議論が常にできる状態を維持することが必要と考える。

ところで、世の中に存在する「収益業務」の絶対量は業務効率化による減少のスピードと、新たに生み出される収益ビジネスの量や、課金可能となり「非収益業務」から変貌する「収益業務」の量との差によって変動する。
今後、業務効率化の進展が極端に先行し、税率が50%超える世の中になっても、90%超える世の中になっても、全ての公的業務が納得され運営されていれば税率の高さ自体を問題視する必要はないと考える。

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